イーブーの観察日記

ハゼを中心とした雑多な記録です

濃尾平野の至宝

 どうもお久しぶりです。また放置してしまいました。今回は7か月強。まあ、思い出して更新しただけ偉いということにしておいてください。

 さて、実はこのサボり期間の間にビッグイベントがありました。この度なんと愛知県に転勤となったのです。採集や旅行では何度も訪れた当地ですが、住むのは初めてです。5月の連休明けに引っ越しを済ませ、はや1ヶ月。やっと生活の基盤も整い、落ち着いてきたこのタイミングで、ブログを更新しようと思い立ったわけです。

 ということで、今日は転勤記念の更新。新天地たる濃尾平野にまつわる魚が主役です。なんか未消化のネタがたんまりある気もしますが、それは追々。

 濃尾平野の魚と言えば、ウシモツゴやイタセンパラ等がシンボリックでしょうか。これらも確かに素晴らしい魚なのですが、ハゼ好きの私としてはやはりアノ魚を推したいところです。

個人的コロコロ系ヨシノボリNo.1!(異論は認めます)

 濃尾平野と言えばやっぱりトウカイヨシノボリ Rhinogobius telma ですよね。本種はその名の通り、東海地方周辺の固有種であり、ワンドや水路、池沼などの止水域にみられます。種小名の “telma” もギリシア語で止水域、湿地を意味し、本種の好む環境にちなんだものとなっています。止水性の同属他種と同様に、ズングリとしたコロコロ系ヨシノボリです。また、ブルベの多い本属において、第一背鰭や喉部が黄色に染まるイエベな個性派です。

 本種は当ブログでも1度登場したことがあります。あれは学部3年の初夏、生まれて初めての近畿・東海地方遠征。西日本を襲った未曾有の豪雨の中で挑んだ限界遠征でした。増水の影響の少ない水路をめぐって何とか捻りだした懐かしい思い出。以降、濃尾平野を通るたびに本種を見に寄って行くのが定番のコースになっていました。良い魚というのは何回見ても飽きないものです。

 そんな思い出深い本種も、今やご近所さんです。記念すべき新居初鰭立てはぜひトウカイヨシノボリ!ということで採ってきたのが前出の写真なのでした。コロコロと愛らしい隣人の住まうこの地での暮らしに、身も心も癒される今日この頃です。

 短いですがおしまい。

 

髭立て

 どうも、繁忙期に入りかけたイーブーです。テスト前に部屋の掃除をはじめる学生の如く、いつもは放置しているブログを更新してます。毎回書き出しを考えるのも面倒なので今日は雑にいきます。

 X(旧ツイッター)をみて薄々気付いた人もいそうですが、実は8月に石垣島へ行ってきました。大学時代は一度も先島諸島に上陸しなかったので、約20年振りの訪問です。あのときはまだ小学校低学年、家族と一緒に訪れたこの島で何をしたのか、今となってはあまり思い出せません。海辺のリゾートに泊まり、夜は石垣牛を食べる、いわゆる家族旅行だったのでしょう。当時見た魚といえば、名蔵アンパルのトントンミーや川平湾の熱帯魚くらいでしょうか。

 しかし、今回は違います。ハゼのためだけの弾丸遠征です。リゾートホテルなんかありません、そもそも宿すらありません。昼も夜も採集のためにあるのです。ということで、ガイド役の後輩1名を召喚し、0泊2日のハゼ採り強化合宿に挑んできました。大本命は外しましたが、すっかり頼もしくなった後輩のお陰で色々と見ることができたので、バラバラと小出しにして語っていきたいと思います。

 さて、今日の主役はアゴヒゲハゼ Glossogobius bicirrhosus です。本種は、西太平洋の熱帯、亜熱帯地域に分布しており、国内では種子島屋久島、奄美大島、沖縄島、石垣島西表島から記録があります。アゴヒゲハゼの特徴といえば、その名に違わず下顎に貯えられたヒゲでしょう。今回標本を作る際も、このヒゲがきっちりと目立つように、微針で形を整えました。鰭立てならぬ髭立てですね。

ひげ

 学生時代、沖縄島でコイツを出したいと常々狙っていたのですが、ついぞ見かけることはありませんでした。ところが、先日訪れた石垣島のとある感潮域では、ミナミヒメハゼやツムギハゼに混じって雑に埋まっていました。なんだか拍子抜けです。いい魚がいっぱいいるのは素晴らしい事ですが、こうも簡単に見ることができると複雑な気持ちになります。チートを使って魔王をシバいた後の、何とも言えないあの気持ちです。

雑に埋まるアゴヒゲ氏

 今回の石垣弾丸遠征では、アゴヒゲハゼ以外にも色々と実績解除したので、そいつらについてもまた後ほど。短いけど今日はおしまい。

旅路の果て

 「合抱之木、生於毫末;九層之臺、起於累土;千里之行、始於足下」一抱えもある大木も毛ほどの芽から育ち、九層の御殿も土台を積み上げる事から起こり、千里の旅路も足下の一歩から始まる。小さな物事の積み重ねが大成に繋がることを説いた老師の言葉です。この千里之行とは如何ほどの長さか? 1里は約4kmなので4000kmと思いきや、老師の生きた中国では1里≒500mらしいので500km、あれ?意外と短い・・・ 世界名作劇場の母を訪ねて三千里も中国なら1500km、これではジェノバからアルゼンチンまでは辿り着けません。せいぜいルソン島から沖縄島あるいは羽田−那覇間ほどの距離でしょうか。

 さて、当ブログの主役たるハゼは旅する魚です。ナンヨウボウズハゼ属などはその最たる例と言えます。どこか遠い南の島で生を受け、毛ほどの仔魚が川を下り、大海原を越えて我らが琉球列島まで辿り着くのです。彼らの旅路は千里いや三千里か、それはそれは遥かなる旅でしょう。そして、そんなハゼを求める私も旅をします。今年の夏も東京から沖縄へ空路をおよそ1500km、ハゼを訪ねて三千里です。ハゼと私、二本の旅路が交わる果ての島、それが沖縄。

 良きハゼに至る旅路とは長く嶮しいものです。足下の一歩に始まり、数多の敗北を積み重ね、一歩一歩迫って行く。薄暗い沢沿いに残した足跡の上に、一筋、二筋と跡を追うものが重なる。その跡を追うものも歩みを重ね、何時しか前を行くものへと育つ。幾本もの旅路が交わり重なり、そこには細い然れど確かな、ハゼに至る道が拓かれてゆくのです。ハゼ道大成の過程は、数多のフィールドの積み重ねにあり。まさに老師の説いた教えの如きものです。

このはてしなく遠い鯊道をよ・・・

 ということで、つらつらと私のハゼ道に対する考えを書いてみましたが、何故その様な気分になったのか?それは、最近このハゼ道に花が咲いたように感じたからです。思えば孤独な戦いから始まった私のハゼ道。直近の世代に同胞はおらず、先代とは数年離れており雲の上の存在でした。そこから沢山の成功と失敗を積み重ねながら、道を広め、一歩ずつ高みを目指して進んできました。月日は流れ、私も沖縄を去りましたが、頼もしき後輩達のもとで道は途絶えずに残りました。そして今夏、その道の先で美しく花開いたハゼに、私は出会いました。

花開く、ハゼの道(※画像はイメージです)

 今宵紹介するのは、ハゼ道に咲いた花のうちの一つ、ニライカナイボウズハゼ Stiphodon niraikanaiensisです。本種そのものについては以前にも語っているので、今更詳しく書く必要はないでしょう。ですが、やっぱり好きなハゼなので少しだけ。本種は、沖縄島で記録のあるナンヨウボウズハゼ属6種のうちの1種。同属のヒスイボウズハゼ等と同様、東南アジア周辺に未知の分布の中心が存在し、そこから仔稚魚が海流によって運ばれ、偶発的に琉球列島に加入してきているものと考えられています。この世界のどこかにある未知の生息地を、海の彼方のニライカナイになぞらえた、ロマンチックな名前の持ち主なのです。まあ、いろいろと書きたいことはありますが、長くなってもアレなのでこれくらいで。私とこのハゼとの邂逅については、過去記事もご参照ください。

茫洋たる海原の彼方より訪れ来る旅人たちよ

 ということで、ニライカナイボウズハゼの麗しきご尊顔をどうそ。やはり、何度相見えても感動が薄れることのない、素晴らしいハゼです。本種こそ、私がハゼ道を歩み出した原動力の一であり、この道の果てへと導いた標でもあります。その道すがら出会った仲間達とともに、掴み取ったこのハゼは、まさに我らがハゼ道の果てに咲いた花と言えましょう。

 しかしながら、遥かなる南の島から続く彼らの旅路と、ハゼを求める我々の旅路、二つの道が重なったこの交差点も、未だ道の果てではないのかもしれません。花はいずれ散り、果実が実り、残された種から次の芽が出る。歩み続ければ、いつの日かその芽も合抱之木となることでしょう。ここはゴールではなく通過点だと思いを新たに、また一歩ずつ進んで行きたいものです。

黄泉比良坂を越えて

 暑いですね。地獄の7月を何とか生き抜き、8月まで辿り着きました。先月の時間外労働は100時間を超え、危うく黄泉の国に行くところでした。何なら黄泉比良坂の途中までは行ってた気がします。まあ、仮に死んでいたとしても、もうお盆なので早々に出戻りですね。とりあえず、キュウリの馬に乗らずに済んで良かったです。

 私の黒い労働環境はさて置き、世間はお盆休みに突入しました。今宵は黄泉の国からご先祖達が帰ってきます。黄泉の国とは死者の世界、そして現世と黄泉の境界として黄泉比良坂があるとされています(古事記にもそう書かかれている)。イザナギイザナミのお話やオオクニヌシの神話で有名な場所ですね。

 科学の発展により死が定義づけられたこの時代、あの世とこの世を霊魂が行き来するなどというのは御伽噺なのかもしれません。けれども、二つの世が緩やかにつながり、なくなった者たちも形を変えて時々戻って来られるのだと思うと、死という言葉をただの終わりではなく、新たな何かの始まりとして捉えられるような気がしてきます。

 さて、このブログは私の死生観を語るものではありません。何と言っても主役はハゼです。現世と黄泉の国が繋がる今日という日にお誂え向きのハゼといえば、コイツをおいて他にないでしょう。ということで以下本題です。

ゾンビ化したコバンハゼ味がある

 ヨミノハゼ Austrolethops wardi は、インド・太平洋にかけて分布し、国内では沖縄島と和歌山県から記録があります。今年に入って和歌山県串本町から本種の稚魚が報告されたことが記憶に新しいです。

 本種は、今から約20年前、沖縄島北部にある港の桟橋横のタイドプールという不思議な場所で採集された個体に基づいて、国内初記録種として報告されました。その小さな眼とフワフワと暗い水中を漂う様が、黄泉の国を彷徨う亡霊を想起させることからヨミノハゼという和名が提唱されました。採集者のうちの1人は、採集状況から件の個体はコンクリート製桟橋の間隙に潜んでいたものと推定しており、その見た目からも日の当たる場所の生き物では無さそうな事が察せられます。

 初記録以降、国内における本種の知見は皆無に等しく、まさに黄泉の国に潜む幻のハゼ状態でした。しかし、2020年末にとある採集方法の導入と幻に魅せられたクレイジーな漢達によって、黄泉の国の幻影は白日の元に晒されたのでした。後輩達の飽くなき探究心と根気強さ、そしてその採集のセンスには脱帽です。あの採集の報は、年の瀬のビッグニュースでした。

 年も明けて三が日、琉大ヤビーポンパーを総動員し、夜半から日の出までガチンコ勝負を仕掛けるも玉砕。昇る朝日が眩しかった。年明け早々にこんなアホな事を出来るのも、採集バカ大学たる琉大の特権かもしれません。新春の完全敗北を乗り越えて秋を迎える頃には後輩達が続々とヤツを撃破。けれども私は修論追い込み真っ只中、黄泉の国から手招きする悪魔の誘惑に抗う日々を過ごしました。

 幻が現実になってから1年と約2ヶ月後、修論発表会が終わった日の夜に、ついに私も黄泉比良坂を越えることができました。抑圧された採集欲と残り少ない沖縄生活に対する寂しさと、色々な感情が入り混じった魂の一吸により、黄泉の国の住民は現世に顕現したのです。そして私の脳天を貫いたカタルシスは、"神ッ!!!"という叫びに乗って、南溟の夜に溶けていったのでした。

黄泉の鯊を黄泉の国に返す儀式



皇帝は、早瀬に君臨せず。

 "日出處天子致書日没處天子無恙云々" かの有名な国書の書き出しとされる一文。太陽が昇る所(日本)の天皇から、太陽の沈む所(隋)の皇帝へ、お変わりなくお過ごしですか? ざっくり言うとそんな感じ。この一文に隋の煬帝は激怒したと言われています。日本を日の出の勢い 、隋を斜陽の国とした不遜な態度にキレたと思われがちですが、そうではないようです。日出處、日没處の語は、大智度論という経論にあり、日出と日没に優劣の意図はなく、単に東西を表現しているだけだそうな。

 ならば煬帝は何にキレたのか、彼を激怒させたのは"天子"の一語です。"天子"則ち"皇帝"とは唯一無二の存在、天に二日無しという訳です。それを極東の小さな島国が自称したので大いに怒ったのです。自らが唯一無二、世界の中心であると信じて疑わぬ隋、その隋と対等に渡り合わんとする日本、そんな2国の思惑が交錯した歴史の1コマ。

 さて、話を天子から日出處に戻します。このように東方を太陽の昇る所と表現する例は、西洋世界でもみられ、東洋を意味するオリエント(Orient)は、太陽の昇る方向を表すラテン語 Oriens に由来するそうです。太陽は東から昇り西に沈む、洋の東西を問わず普遍の原理なのです。

 ところで、ハゼの世界においても日出處の天子がいます。ハヤセボウズハゼ Stiphodon imperiorientis です。和名に皇帝要素はありませんが、学名をみてみると、imperator(皇帝)+ orient(太陽の昇る方)= 日出處の天子となります。長年にわたりハゼ類の分類のご研究をされている上皇陛下にちなんだ学名です。上皇陛下に関わる名を持つハゼは他にもおり、イトヒキインコハゼ Exyrias akihito や南太平洋に分布するボウズハゼ亜科のアキヒト属 などがいます。これらの種のような直接的な献名も素敵ですが、我が国の歴史の1コマをラテン語に落とし込んだ imperiorientis という種小名からは、献名先への敬意だけでなく、彼が背負うものを理解しようとする一歩踏み込んだ心を感じます。

 という訳で、とっても素敵な学名を持つハヤセボウズハゼの御尊顔がこちら。

言うほど早瀬にはいない。

 写真の個体は、ハヤセボウズハゼにしてはちょっと小さめです。大型のオスの第1背鰭は伸長し先端が尖ります。また、体側には暗色横帯が並び、背鰭と尾鰭には白い点列が入ります。全身ギンギラギンでド派手なコンテリとは趣向の異なる、シックで渋い感じの見た目をしてます。本種は、日本国内では沖縄島、石垣島西表島奄美大島から記録があります。かつては琉球列島の固有種と考えられていましたが、台湾、中国本土にも分布することが明らかになりました。他の珍しい系スティフォドンの例に洩れず、本種についても東南アジアに分布の中心が存在する可能性が示唆されています。和名の通り、早瀬など川の中でも流れの早い場所を好むのかと思いきや、割と流れのない所にいます。ハヤセボウズハゼならぬフチボウズハゼです。そもそも国産スティフォドンはだいたい淵にいる気がします。ガッツリ瀬の中に出てくるのはナンヨウとニライカナイくらいでしょうか。学名はカッコいいのになんでこんな和名になってしまったのか…

 私がハヤセボウズハゼに出会ったのは学部3年生の秋、曇天の肌寒い日のことでした。川の脇にある伏流水が滲み出たような小さなたまりに、メスが1個体ポツンと佇んでいました。この個体を某所に持ち込んだ事が、後のニライカナイボウズハゼとの出会いに繋がったことを思うと、あの時のハヤセは運命の女神だったのかもしれません。あの時吸い寄せられるように覗き込んだ水たまり、あの日、あの時、あの場所で君に会えなかったら。そんなことを思ってみたり。

僕等はいつまでも見知らぬ二人のまま

 

【追記:2024年11月26日】

 先週、沖縄本島でハヤセをシバいてきました。今まで採ってきたどの個体よりも立派だったので、ここに追記します。

大型の雄、これぞ皇帝の風格。

 

夜涼の鯊

 早くも関東地方の梅雨明けが宣言されましたね。梅雨入り直後にザっと降りましたが、その後は空梅雨といった印象。ここ数日でツクツクボウシ、ミンミンゼミ、アブラゼミと夏のイツメン達が続々と鳴き始め、一気に夏の到来を感じさせられました。

 さて、夏の季語に"夜涼"というものがあります。夏の夜の涼しさを指すこの言葉ですが、令和の世においてこの言葉を解することは至難と言えるでしょう。ここ最近の夏は連日連夜熱帯夜、今年も梅雨のうちから熱帯夜となる始末。いつの日か夏の夜に涼むという概念は消えてしまうのかもしれません。

 そんなクソ暑い今宵、暑さを忘れる涼風を吹き込むべく、沖縄の川でよく見られる涼し気な青いアイツを取り上げたいと思います。

ギンギラギン。青色も目を引くが尾鰭のオレンジもド派手。

 今回のハゼは、ルリボウズハゼ Sicyopterus lagocephalus です。本種は、国内では琉球列島、小笠原諸島に分布し、近年高知県からも記録があります。国外では、西インド洋および太平洋の島嶼に広く分布しています。

 環境省および鹿児島県のレッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類に選定されており、奄美大島5市町村においては、希少野生動物に指定され、捕獲・採取が禁じられております。

 沖縄島においては、主に北部の河川で比較的多くの個体を見ることができます。河川の中でも特に流れの速い場所を好み、急流の中で岩盤などに張り付いて、付着藻類をモソモソと食べています。流れが速い所にいる上に、警戒心が強いので、手網で捕まえようとすると意外と苦戦します。

 名前の通り、雄の婚姻色は全身が瑠璃色を呈し、尾鰭はオレンジ色に染まります。目が醒めるような青さ、見ているだけで涼しくなります。願わくば、PCの画面越しではなく、冷たい川に浸りながらその姿を拝みたいものです。それにしても、こんなド派手な魚が国内で採れるなんて、やはり沖縄は最強ですね。

L’amour est bleu

 どうも。仕事に追われ、3ヶ月以上採集にも行けず、脳が破壊されかけているイーブーです。心が弱ると、思考があらぬ方向へ走り、さらに心を蝕むのです。このような不健全な精神状態を正すことのできる劇薬、それはハゼ。ということで、南の島のハゼに思いを馳せながら筆を走らせ、心の修復を図っているのです。

 さて、表題の "L’amour est bleu" 恋はみずいろ、各地の防災無線等にも採用されているこの歌、私がかつて住んでいた宜野湾市でも、正午を伝えるチャイムとして流れていました。恋に揺れる心を、悲しみを灰色に、燃え上る喜びを青色に歌っているのだそうだ。ハゼの尾鰭ばかり追いかけてきた私には解しかねる心情ではありますが、ただ一つ分かることがあります。それは、この歌がよく似合うハゼがいるということです。

 

恋をすると青く輝く。

 そのハゼとはこちら、ヒスイボウズハゼ Stiphodon alcedo です。婚姻色を呈した雄の頭部は、翡翠のような青緑色に染まり、胴部は黒色またはオレンジとなります。この青とオレンジの体色が、カワセミ Alcedo atthis を想起させることから、この名がついたそうです。恋するほどに青く燃え盛る、美しい生き様ですね。

 ちなみに、やる気のない時はこんな感じで割と地味な色をしていますが、これはこれで美しい。ミンサー織りっぽい黒色縦帯が、個人的好きポイントです。

いつもいつでも燃えていたら、疲れてしまうよね。

 沖縄島から採集された標本に基づき2012年に記載された本種は、沖縄島、西表島そして台湾でも見つかっているようです。ニライカナイボウズハゼと同様、東南アジア周辺に未知の分布の中心が存在し、そこから仔稚魚が海流によって運ばれ、偶発的に琉球列島に加入してきているものと考えられています。大海原を越えた旅路の果てが、私の展鰭桶とは哀れなものよ。

 その性質上、年による当たり外れが大きく、2010年代前半には、目に映るスティフォドンが全てヒスイなどという贅沢な川が存在したこともあったそうな。私が学部生だった2010年代後半は、ヒスイボウズハゼ冬の時代。当時を知る人ならきっと共感してくれるはず、マジでヒスイなんていませんでした。そんな状況が変わり始めたのは2018年の冬、寒風吹きすさぶ曇天の下、ついに邂逅を果たしたのであった。

やっとの思いで捻りだした1匹、まさか数年後あんな事になるとはね…

 この出会い以降、年に数個体ポツポツと出ておりました。そして2020年代に突入すると急激に個体数が増加、ここ2、3年はまさに当たり年と言える状況でしょう。あんなに苦戦していたのにこの状況は一体何なのだろうか… この当たり年により、多くの人が目にしたであろう恋の青色。遠征勢のクソガキどもが、大した有難味も無さそうに採集している様子を、苦々しく思うイーブーなのでした。